最終下校時刻のチャイムを聞いて、学校内にはほとんどの生徒がいなくなった夕方。 無事に忘れ物を回収した私は、今度こそ家に帰ろうと、足早に廊下を歩く。 人通りの少ない廊下を小走りで進んでいくと、三階の階段前に辿り着いた。 この階段の踊り場には、凄く立派な装飾の付いた「大鏡」がある。 高さは三メートル、幅は一メートル程だろうか。 ……私は鏡に映った自分の姿を見るのは苦手だけど、でもこの「大鏡」の前を通る時は別だった。 精緻な意匠の施されたフレームにトリミングされて、まるで時間を切り取ったように自分と風景が映るのが好きで。 ここを通るたびに足を止めて、いつもしばらく眺めていたんだ。 その「大鏡」の見える踊り場へ降りようと、階段に一歩足を踏み出したとき、背後から複数の女の子の笑い声が聞こえた。 振り向くとそこには、意地悪な表情を浮かべたいじめっ子四人組が立っていて、 その中のリーダーの子の背中に、……私の肖像画を隠しているのが見えた。 私「それ……私の絵?返してよ」 リーダー格の少女「――は?しらないけど」 私「美術部の部室に忍び込んだの?……っ。お願いそれは……それだけは返して!」 私は、普段の自分では考えられない勇気と行動力で、無理やり相手から自分の肖像画を奪い取った。 ところが。 私「――!」 その絵は。 私の初恋の人が、可愛いって褒めてくれた、 私の肖像画は――。 ナイフでズタズタに切り裂かれていた。 私「――ッ!」 途端に、どっと笑い出すいじめっ子たち。 いじめっ子たち「――あの顔!ガハハハッ」「――そんな大した顔かよ!優香!」 なんで?なんで笑うの? なんでこんなことするの? 私「酷いよ!!!」 普段、人に怒鳴ったりなんてしたことが無い私は、大声で叫んだ弾みに、頭の中が真っ白になった。 一瞬意識を失った身体はがくりと足の支えが折れて、そのまま後ろに倒れ込み―― 背後にあった階段に向かって、頭から飛び込むように落下した。 流れていく景色。 小さくなってゆく女の子たちは、こっちに向かって手を伸ばしていた。 首を後ろに向けると、凄い勢いで階段の踊り場の床が迫ってくる。 そんな中、あの美しい「大鏡」が、驚いた顔の私を映し出していて―― その後、 ぱぁん! って音がして、 私の視界は、真っ黒になった。 つづく――
目の前に、真っ暗な廊下が伸びている。 昼間の光景とまるで違うしんとした空気に、私は少し、怯んでしまった。 ゆきかぜ「凜子先輩。改めて見ると、夜の学校って入口からしてもう怖……」 凜子「怖いのか?」 ゆきかぜ「怖くないです」 変な音色の声が出る。誰がどう聞いても、やせ我慢と分かるような声だった。 昼間に鹿之助から聞いた怪談のせいで、恐怖のスイッチが必要以上に敏感になっている気がする。 もし、あの「七不思議の優香さん」の話が本当のことだったら……? この真っ暗な廊下の奥に、「優香さん」が立っていたりしたら……? そう考えただけで、そこの廊下も、あの階段も、全てが怖いものに見えてくる。 ゆきかぜ「と、とにかく電気を点けましょうか。廊下の電灯のスイッチなんて、どこにあるんだろ……?」 スマホのライトで辺りを照らして、暗闇のなか蛍光灯のスイッチを探す。 通路の端などにあると思ったのだけれど…… ゆきかぜ「うーん?何処にもありませんね!……どうして?教室の電気のスイッチなら、大体入り口とかにあるのに……」 凜子「廊下の電灯は、生徒に勝手に触られると困るだろうからな……。職員室などにあるのじゃないか?」 ゆきかぜ「あ……なるほど。職員室はすぐそこですね、行ってみましょう!」 教室の位置関係は、もちろん頭に入ってる。照明の消えた廊下でも、すいすい歩いて目的地にたどり着いた。 ――ガシャッ、と音がして扉が揺れる。指をかけて開けようとしたけれど、玄関同様に職員室の扉も、施錠されていた。 凜子「まあ、当然施錠されているだろうな。職員室なんて一番、漏洩してはならない機密が詰まっている場所だろうし」 ゆきかぜ「凜子先輩、ちょっとスマホのライト持ってて貰えますか?」 ピッキングの器具を取り出して微笑む私を、先輩は驚いて制止にかかった。 凜子「待て待て!流石に駄目だ。仲間にライトを持たせて暗闇のピッキングって、なんだこの酷い画面(えづら)は!」 ゆきかぜ「え~……駄目ですか?」 凜子「金庫や貴重品などもあるかも知れないだろう?監視カメラが設置されている可能性もある。流石にここはやめておけ」 窓から職員室を覗き込むと、入口付近の壁に照明のスイッチがまとめて並んでいた。 その中には「廊下」と書かれたものもある…… ゆきかぜ「多分、あれが廊下のライトのスイッチですね」 凜子「まあ、忘れ物を取りに行くだけなら、スマホのライトの明かりで充分だろう。ゆきかぜの教室に向かうとしよう――」 二人でひそひそと話をしていた、その時だ。 ???「きゃああぁぁ……」 ――ドォンッ!! 校舎の奥の、遠くの方から―― 何か重たいものが投げ落とされるような音がして、私たちは顔を見合わせた。 ゆきかぜ「――!!」 凜子「なんだ、今の音は……?」 背中に、冷たい汗が流れる。私の脳裏に、引っかかるものがあったからだ。 ゆきかぜ「り、凜子先輩……いまの音、上の方の階から……でしたよね」 凜子「そうだな……」 そして私は、確かに聞いた。何かが落ちるような音と一緒に、上の階から微かに……悲鳴のような高い声が響いたのを。 ゆきかぜ「悲鳴っぽい声も、していませんでしたか?」 凜子「――ん?いや、それは私には聞こえなかったが……」 ……どういう事だろう?私には今、確かに聞こえた――。もしかして本当に、霊的な何かが起こっているのだろうか。 つづく――
ゆきかぜ「『七不思議の優香さん』が、現れたのかもしれません……だから、怖くて」 できれば、一刻も早く帰りたい。 私はもう、忘れ物は諦めて、明日の昼間に回収するのでもいいかとさえ思い始めた。 でも、凜子先輩は全く逆の反応をする。 凜子「ゆきかぜ、その七不思議。解明しよう」 ゆきかぜ「……え!?」 凜子「その怪現象。背後の事情に対して情報の露出が新しいのが気になる。なぜ今になって拡散され始めたのか、だ」 凜子「もしかすると、この学校の生徒たちを不当に襲うために、敵勢力が仕組んだ噂かもしれない」 凜子「学園に敵性存在が潜んでいるとしたら、「七不思議」に見せかけて生徒を拉致したり、危害を加える隠れ蓑にするわけだ」 凜子「で、あるならば。対魔忍として見逃してはおけない。そうだろう?」 凛子先輩の読みは理性的で、理にかなっている。 私もここに入学して、もう二年生になるけどこんな噂、初めて聴くし。 ゆきかぜ「でも、でも!もし本当に幽霊とか、お化けだったらどうするんですか!」 凜子「何が出てこようが、全部斬れば良いだけだ。問題はあるまい?」 強がりでもなく、落ち着いた普段の顔で、凜子先輩はきょとんしている。 ゆきかぜ(うっ……やっぱり凜子先輩、ちょっとイノシシ……) 凜子「どうした?」 ゆきかぜ「なんでもありません!あの、出来れば当初の目的も忘れないでいて頂けたら、嬉しいなって」 凜子「ん?ははは、忘れるわけが……なんだっけ?」 ゆきかぜ「私の、教室の忘れものの回収です。そのために、ついて来てもらっているんです」 凜子「ああ、そうだったな。分かった。調査をしながら回収もしよう。……まずは、大きな物音のした、上の階に行ってみるか」 ゆきかぜ「は、はい……」 凜子先輩がこうなったら止まらないことを知っている。 私は仕方なく、『七不思議の優香さん』解明に乗り出すことになった――。 凜子「音がしたのは、このあたりか……?」 私たちは、三階校舎の階段――踊り場の「大鏡」の前にいた。 でも、特に変わった様子もなければ、大鏡にも異常はない。 ただ私と凜子先輩が映っているだけ―― ゆきかぜ「うーん、あの「大きな音」のはっきりとした場所が分かりませんね……ここだったのかな」 実際、閉じた空間では反響がすごくて、さっきの「音」は上の階から聞こえたようにも、同じ階から聞こえたようにも感じたんだ。 ゆきかぜ「下の階の踊り場も、異常なしです!」 一応周囲を確認するけど、お化けはいない。 ただ、電気の消えた下の階の廊下とかとっても怖いけれど…… 凜子「うん。こうなれば、七不思議を一から順番に、体験してゆくしかないな……」 ゆきかぜ「やっぱそうなります?」 凜子「まずは七不思議の一、『見ると絵の中に取り込まれる、美術室の油絵』からだな。丁度美術室はここから近い。行ってみよう」 ゆきかぜ「は、はぁ~い」 この時、私は漠然と感じていた……。自分が何か大変なことを、取り返しのつかないほどに大事なことを、忘れているような感覚を。 ゆきかぜ(なんだろう、思い出せない……忘れ物を回収することはもちろん覚えてる。その他のこと……?) ゆきかぜ「ってあっ!凜子先輩!待ってくださーーい!」 階段を上ってずんずんと歩を進める凛子を、ゆきかぜは慌てて追いかけた。 ――ぴしり、 と。 二人の後ろ姿を映した「大鏡」が、呪われた音を立てたとも知らずに。 つづく――